父は熊本藩士。明治4(1871)年司法省に出仕、5年渡欧し翌年帰国。7年大久保利通の清国派遣に随行。以降、岩倉具視・伊藤博文らの命で、各種の重要政策を立案した。14年プロシア憲法に基づく欽定憲法構想立案や国会開設の勅諭を起草、新設の参事院議官となり、帝国憲法の起草にあたった。21年枢密院書記官長として、憲法制定会議の司会を務める。23年枢密顧問官となり、教育勅語を起草。26年第2次伊藤博文内閣の文相に就任した。
井上毅関係文書(MF1:国学院大学図書館蔵「梧陰文庫」)
井上毅関係文書(MF2:個人蔵)