父は鹿児島藩士。明治12(1879)年陸軍士官学校卒業。14年フランスに留学。日露戦争時には第4軍参謀長として参加。45年第2次西園寺公望西園寺内閣の陸相に就任。内閣が財政緊縮を進めたために軍の二個師団増設要求と対立し、陸相の辞職により内閣総辞職となった、いわゆる大正の政変の当事者。のち教育総監、参謀総長。陸軍薩摩閥の長老として重きをなす。日本における工兵の創始者。