父は福井藩士。安政3(1856)年に一家断絶となる。その後、遠祖の瓜生姓を名乗る。漢学、蘭学、英学を学び、幕府の英語学校教授を務める。明治3(1870)年に新政府に登用され文部省、大蔵省、工部省などに勤務するが12年退官。15年日本鉄道会社に勤務。その後、兵庫日本米穀輸出会社顧問を経て、外国船積立業瓜生商会を設立。著作は、貨幣、地質学、測量、地理、家政学など多方面にわたる。