父は鹿児島藩士。安政4(1857)年長崎に留学、海軍伝習所に学ぶ。慶応元(1865)年鹿児島藩留学生を率いて欧州諸国を巡歴。維新後の新政府下では、参与・外国事務局判事、外国官権判事、大阪府県判事を歴任する。明治2(1869)年官を辞し大阪において実業に従事。鉱山経営、藍の製造販売などを行う。藩閥政府とつながりが深く、政商とも呼ばれた。大阪株式取引所、大阪商法会議所、大阪商業講習所(大阪商科大学の前身)などを設立し、大阪の経済発展に貢献した。
五代友厚関係文書(MF:大阪商工会議所蔵)