文芸評論家。文学博士。帝国大学文科大学哲学科卒。在学中の明治27(1894)年読売新聞の懸賞小説に『滝口入道』が入選。上田敏らと「帝国文学」の編集委員を務める。卒業後博文館に入社、雑誌『太陽』の編集主幹となり、文学、哲学、美学など多岐にわたる評論を執筆。初め日本主義を主張するがニーチェの影響で個人主義に転じ、『美的生活を論ず』(1901)では本能満足説を提唱。晩年は日蓮に傾倒した。肺結核の悪化で欧州留学を断念し34年東京帝大の講師となるが、翌年没。
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