歴史家。慶応義塾に学ぶ。明治23(1890)年から28年まで国民新聞記者、29年雑誌『世界之日本』の主筆となる。31年西園寺公望文相の秘書官、35年衆議院議員に当選、立憲政友会に属する。大正9(1920)年宮内省臨時帝室編修局御用掛、10年編修官長として『明治天皇紀』編纂に携わった。11年に貴族院勅選議員、昭和15(1940)年に枢密顧問官に任ぜられる。『新日本史』(1891~92)、『二千五百年史』(1896)は民間史学の代表作とされる。
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