父は幕府の同心。昌平坂学問所に学び、安政2(1855)年学問所教授、文久2(1862)年幕府の儒官となる。慶応2(1866)年幕府遣英留学生の監督として渡英。維新で帰国し静岡に移り、『西国立志編』『自由之理』を翻訳刊行、ベストセラーとなる。明治5(1872)年上京し、大蔵省に出仕。6年家塾同人社を開設。7年明六社に参加。キリスト教にも関心を持ち受洗。女子教育・盲唖教育にも尽力した。14年東京大学教授、19年元老院議官。文学博士。
『』