解説
思想家。父は佐倉藩士。嘉永3(1850)年家督を継ぐ。少年期より儒学・砲術を学び、後に蘭学・英学も学ぶ。明治6(1873)年文部省に出仕、編書課長として教科書や辞書の編纂を計画。明六社創設にも中心的役割を果たす。政府の欧化傾向に対し国民道徳の回復を訴え、9年東京修身学社を設立(のちに日本講道会、日本弘道会と改称)。10年文部大書記官、19年宮中顧問官。『日本道徳論』などを発表、日本弘道会長として儒教中心・皇室尊重の国民道徳の普及に努めた。23年貴族院議員。
関連資料
電子展示会「あの人の直筆」より