家は鹿児島藩の鼓の師範。尊王攘夷運動で活躍、鳥羽・伏見の戦後東北を転戦した。明治4(1871)年東京府に出仕、酒田・鶴岡県令を経て9年から15年まで山形県令。15年1月から福島県令を兼任(同年7月より福島県令専任)。翌年10月より栃木県令を兼ねた。17年内務省土木局長に転じ、翌年警視総監に就任。積極的に地域開発を進める「土木県令」として知られる一方、強権的な手法で自由民権運動と対立、福島事件や加波山事件を誘発した。