解説
外交史家。明治22(1889)年漢学者林滝三郎の養子となる(旧姓は中村)。28年慶應義塾大学部卒。34年から4年間ヨーロッパに留学し、ヨーロッパ外交史、比較憲法を研究する。帰国後、慶應義塾大学教授に就任。45年には衆議院議員に当選(当選4回、香川県)、第一次護憲運動に加わる。大正8(1919)年パリ講和会議に参加、また10年ワシントン会議全権随員を務める。12年~昭和8(1833)年には慶應義塾塾長兼大学総長を務める。21(1945)年枢密顧問官。日本の外交史学の草分け。法学博士。
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