父は宮司。嘉永4(1851)年長崎へ出て実業界入りを決意。安政5(1858)年大阪に出たのち、海運業・問屋業で成功。明治11(1878)年第五十八国立銀行を設立、その後同頭取に就任。また大阪手形交換所会頭、大阪府会議長、同市会議長等を歴任。その一方、15年大阪女学校を創立。24年朝鮮政府の招きに応じ、顧問として幣制改革等に参画。京釜鉄道の設立発起人もつとめる。31年衆議院議員。
大三輪長兵衛関係文書