解説
明治33(1900)年高等商業学校(後の一橋大学)卒業後、大阪商船に入社。昭和9(1934)年社長となる。海運自主統制を提唱して、12年海運自治連盟を結成し、理事長に就任。14年貴族院議員。第2次・3次近衛内閣の逓相兼鉄相。17年フィリピン派遣軍最高顧問、18年駐フィリピン特命全権大使を歴任。戦後、戦犯容疑で拘置され、22年釈放。26年公職追放解除。外務省顧問を経て29年フィリピンとの賠償会議に全権委員として参加。30年には日本国際貿易促進協会会長として中国を訪問し、日中関係の改善に尽力した。
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