解説
実父は身延山久遠寺八十一世法主の杉田日布。石橋は母方の姓。明治40(1907)年早稲田大学文学部哲学科を卒業。44年東洋経済新報社に入社、のち主幹、社長。帝国主義的潮流下で自由主義的論説を主張し、「小日本主義」を唱えた。第1次吉田内閣で蔵相に就任。昭和22(1947)年衆議院議員に当選したが、公職追放となり辞任。追放解除後、衆議院議員となり、第1~3次鳩山内閣の通産相を経て、31年12月、自民党初の総裁公選で総裁となり、首相に就任したが、病気療養のため翌32年2月辞任。晩年は日中・日ソ交流に尽力した。
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