大正7(1918)年東京帝大法科大学卒、同年日本銀行入行。昭和19(1944)年理事に昇任、大阪支店長を経て、21年第18代日本銀行総裁となる。戦後復興期におけるインフレ抑制に努め、銀行界、産業界への影響力の大きさから「法王」とよばれる。26年にはサンフランシスコ対日講和会議全権委員。29年日銀総裁を辞任、第1次鳩山内閣の蔵相を務める。30年衆議院議員となり、第2次・第3次鳩山内閣及び第1次岸内閣の蔵相を歴任。