独学して新宿郵便局長、新宿町長となる。東京府会議員を経て、大正9(1920)年には衆議院議員(連続5回当選)となった。昭和3(1928)年に魚市場移転補償や京成電気軌道の浅草乗入れ認可などをめぐる贈収賄事件(東京市会疑獄)の中心的人物と目されて起訴され、9年に有罪となり議員を失格した。戦後、21年再度衆議院議員(当選3回)となり、日本自由党代議士会長等を務めた。