労働運動家。大阪陸軍砲兵工廠見習工など、職工として働く。大正4(1915)年友愛会入会、日本労働総同盟などを経て、15年社会民衆党中央執行委員。昭和3(1928)年衆議院議員(以後補欠選挙を含め計15回当選)。20年松岡駒吉らと日本社会党を結成。片山内閣の国務相兼官房長官、芦田内閣の副総理を歴任するが、23年10月に昭電事件で逮捕され辞職。33年東京高裁で無罪判決。35~42年まで民主社会党委員長、47年政界引退。