解説
大正5(1916)年東京帝大法科大学卒。内務省に入り、医務課長、行政課長等を経て、昭和7(1932)年福井県知事。11年満洲国総務庁長に就任したが、関東軍と対立して辞任。北支方面軍付となり、内務次官、昭南特別市(シンガポール)長、初代東京都長官などを歴任。19年小磯内閣内相。戦後戦犯容疑者として巣鴨に収容、22年釈放。28年参議院議員に当選。29年第5次吉田内閣の文相として、反対運動の中、教育二法(「教育公務員特例法の一部を改正する法律」、「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」)の成立に全力をあげた。
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