解説
小説家。劇作家。父が満州医科大学の医師であったため、幼少期を中国東北部の奉天(後の瀋陽)で過ごす。戦後、東京大学医学部在学中『終りし道の標べに』(発表当時のタイトルは「粘土塀」)を発表。花田清輝らの「夜の会」に参加、さらに『近代文学』同人となり、本格的な作家活動を始める。昭和26(1951)年『壁―S・カルマ氏の犯罪』で芥川賞。『砂の女』で38年に読売文学賞。『砂の女』がフランスで最優秀外国文学賞を受賞するなど、海外でも高い評価を受け、多くの作品が翻訳されている。48年より演劇グループ「安部公房スタジオ」を主宰。俳優の養成や上演活動にも力を注いだ。
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