解説
昭和14(1939)年早稲田大学政治経済学部卒業後、中外商業新報(現日本経済新聞)に入社。上海支局長、政治部次長を歴任。22年の総選挙で当選(当選14回)。自由党内反主流派として、「吉田側近政治」を批判した。31年の自民党総裁選挙では、石橋湛山総裁実現の参謀として活躍し、石橋)内閣の官房長官として入閣。以後、第1次岸・第1~3次池田・第1次佐藤・福田内閣で労相、及び三木内閣運輸相を務め、35年の三井三池大争議の解決、仲裁裁定完全実施慣行の定着、ILO87号条約の批准促進を行い、いわゆる「石田労政」時代をつくった。
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