建築家、建築史家。米沢藩士伊東祐順の次男。明治25 (1892) 年帝国大学工科大学を卒業。大学院に進み、建築史の研究を行う。38年東京帝大工科大学の教授となる。中国の雲崗石窟の発見や東洋建築史の体系の確立など、日本最初の建築史家として活躍する。また、平安神宮や築地本願寺などを設計した。昭和3 (1928) 年東京帝大退官後は早稲田大学、東京工業大学でも教鞭をとり、多くの建築家を養成した。18年文化勲章受章。
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