近代日本人の肖像

永井 ながい たかし

生没年
明治41年2月3日 〜 昭和26年5月1日
1908年2月3日 〜 1951年5月1日)
出身地
島根県
職業・身分
学者(自然科学) 医師・薬剤師等

解説

昭和7(1932)年長崎医科大学卒業後、同大物理的療法科に勤務。放射線医学を専門とする。9年カトリックの洗礼を受け、同年に結婚。12年から15年にかけて軍医として中国各地を転戦。帰国後、母校の助教授に就任するも、20年に放射能障害による慢性骨髄性白血病のため余命3年と診断される。同年8月9日には原爆により被爆、妻は死亡。自らも重傷を負いながら被爆者の救護に尽力した。翌年に母校の教授に就任、間もなく病床に伏す。闘病を続けながら原爆症の研究を進め、自らの症状や原爆についての記録を多く残す。如己堂と名付けた庵に住み、「浦上の聖者」と呼ばれた。代表作に随筆『長崎の鐘』『この子を残して』など。

関連資料

歴史的音源

永井隆の作品、演説を聴く

著作

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永井 ながい たかし

永井隆の肖像
  • 永井隆の肖像1枚目
  • 永井隆の肖像2枚目
  • 永井隆の肖像3枚目
  • 永井隆の肖像4枚目
  • 永井隆の肖像5枚目
出典: