解説
昭和7(1932)年長崎医科大学卒業後、同大物理的療法科に勤務。放射線医学を専門とする。9年カトリックの洗礼を受け、同年に結婚。12年から15年にかけて軍医として中国各地を転戦。帰国後、母校の助教授に就任するも、20年に放射能障害による慢性骨髄性白血病のため余命3年と診断される。同年8月9日には原爆により被爆、妻は死亡。自らも重傷を負いながら被爆者の救護に尽力した。翌年に母校の教授に就任、間もなく病床に伏す。闘病を続けながら原爆症の研究を進め、自らの症状や原爆についての記録を多く残す。如己堂と名付けた庵に住み、「浦上の聖者」と呼ばれた。代表作に随筆『長崎の鐘』『この子を残して』など。
関連資料
歴史的音源
永井隆の作品、演説を聴く
著作
『』