解説
明治41(1908)年上海の東亜同文書院商務科を卒業。南満洲鉄道勤務を経て、大正4(1915)年外務省入省。昭和4(1929)年吉林総領事となり、満洲事変不拡大の方針を貫き、12年盧溝橋事件の際は東亜局長として和平交渉に務めた。13年宇垣一成外相に日中の和平を求める意見書「今後の事変対策に付ての考案」を提出したが、宇垣の辞任に伴い東亜局長を退いた。以後オランダ駐箚特命全権公使、ブラジル駐箚特命全権大使を務めた後、ビルマ駐箚特命全権大使として終戦を迎えた。21年退官、公職追放の後、幣原平和財団理事在任中死去。
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