解説
歴史学者。安政5(1858)年水戸の彰考館に出仕し、豊田天功の指導下で『大日本史』の編纂に従事。明治6(1873)年大教院編輯課に出仕し、その後太政官教部省、太政官修史館、元老院、東京帝国大学、文部大臣官房などに出仕しながら、亡師・天功の宿願であった『大日本史志表』編纂に取り組んだ。12(1879)年に彰考館で修史事業が再開され、20年の歳月を編纂に費やした。25(1892)年帝国大文化大学教授。『大日本史志表』完成の直前に病に倒れ、事業は息子に引き継がれた。水戸に家塾輔仁(ほにん)学舎をひらき、水戸学の後進育成にもあたった。著作に『荘園考』など。
関連資料
著作
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