実業家、美術収集家。幼少より漢学を学び、明治18(1885)年東京専門学校(後の早稲田大学)に入学、政治・法律を学ぶ。25(1892)年横浜の豪商原善三郎の婿養子となり、生糸貿易により財をなす。横浜に三渓園を造園し、39(1906)年無料で開園した。横浜興信銀行(後の横浜銀行)の初代頭取などを務め関東大震災では横浜市復興会長に就任し、私財を投げうって横浜の復興に尽力した。古美術品の収集や芸術家の支援を行い、茶人としても知られる。