父、丸山正直は肥前島原藩士。平田鉄胤に国学を学び、勤皇志士と交わった。明治2(1869)年外務大丞となり、樺太でロシアと交渉。4年征韓意見に同調したために投獄されるが、13年恩赦により出獄。14年『明治日報』を創刊。15年福地源一郎らとともに立憲帝政党を結成。19年宮内省図書助となり、20年渡欧して各国の帝室制度調査にあたる。21年帝室制度取調掛となった。23年元老院議官、貴族院議員勅撰。成城学校の創立者。