解説
父は萩藩士勝津兼亮。母は山県有朋の姉、寿子。文久元(1861)年、山県有朋の養嗣子となる。明治4(1871)年岩倉遣外使節に随行してドイツに留学。帰国後、外務省翻訳見習を経て、ベルリン公使館在勤。16年太政官に入り、法制局参事官、愛知県書記官、徳島県知事、内務省地方局長、総務長官、次官等を経て、39年に第1次西園寺内閣の逓相となる。41年貴族院議員。43年韓国副統監となり、韓国併合後は朝鮮総督府政務総監として植民地行政に従事し、大正8(1919)年三・一独立運動を鎮圧。9年関東長官に就任。11年山県有朋の死により公爵を襲ぎ、同年、枢密顧問官となる。
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