父は津軽藩士。藩校稽古館、ついで東奥義塾に学ぶ。明治9(1874)年明治天皇の東北地方巡幸の際、英語で御前講演を行う。アメリカ留学後、18年外務省に入省し御用掛となる。以後、サンフランシスコを始め各地に駐在。34年外務総務長官、36年外務次官。ドイツ・アメリカ・イギリス各駐箚大使などを経て、大正8(1919)年全権委員としてパリ講和会議に出席。9年伯爵、同年枢密顧問官に就任。10年宮内省御用掛として皇太子の渡欧に随行。東宮大夫兼務等を経て昭和2(1927)年侍従長に就任。