解説
博物学者。父は医師。名古屋の博物学者、蘭方医伊藤圭介に学ぶ。文久2(1862)年蕃書調所に出仕し、物産学を担当。幕末から明治にかけて、パリやウィーンなどで開催された万国博覧会に参加。また、内国勧業博覧会の開催を推進し、殖産興業政策に尽力。明治14(1881)年農商務省農務局長、翌年博物館長、16年元老院議官等を歴任。駒場農学校(東京大学農学部の前身)、大日本農会、大日本山林会、大日本水産会、大日本織物協会の創立や、東京上野の博物館、動物園の設立などにも貢献し、23年貴族院議員、大正4(1915)年男爵となった。
関連資料
著作
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