政治学者。父は出石藩士。佐久間象山、大木仲益(のち坪井為春)らに入門、蘭学を学ぶ。蕃書調所教授手伝となりドイツ学を研究。明治維新後政府へ出仕、外務大丞等を歴任。明治10(1877)年東京大学法・理・文学部綜理、14年東京大学綜理。元老院議官、帝国大学総長を歴任し、23年貴族院議員勅選。33年男爵。帝国学士院長、枢密顧問官。著書は前期に『真政大意』(1870)、『国体新論』(1874)、天賦人権論から社会進化論に転向後の後期に『人権新説』(1882)。