解説
醤油醸造元の家に生まれ、浜口儀兵衛商店(現ヤマサ醤油)の養嗣子となり、嘉永6(1853)年7代目を継ぐ。安政元(1854)年11月の大津波の際には、家屋50軒を新築するなど、村民の救援に奔走し、また延長約670メートルの大防波堤を建築。尋常小学国語読本収蔵の「稲むらの火」、ラフカディオ・ハーン著「生神」の主人公のモデルとなった。また、6(1859)年には焼失した江戸の種痘所の再建をした。慶応4(1868)年1月、和歌山藩勘定奉行、明治3(1870)年同藩権大参事を経て、12年初代和歌山県会議長に就任。17年渡米し、18年ニューヨークで客死した。