父は松江藩士。帝国大学在学中、ボート選手として活躍。明治22(1889)年に卒業後、26年弁護士、43年法学博士となり、大正4(1915)年東京弁護士会会長。10年大日本体育協会会長、13年国際オリンピック委員、昭和7年貴族院勅選議員。スポーツの先駆者として、日本スポーツ界の興隆に努めた。