法学者。大正4(1915)年東京帝大法科大学卒業後、内務省に入るが、翌年辞職。8年欧米に留学し、帰国して12年東京帝大教授となる。商法を担当し、カトリックの自然法論の立場から世界法を論じた論文「世界法の理論」で、法学博士の学位を取得。昭和12(1937)年東京帝大法学部長、20年文部省学校教育局長、21年第1次吉田内閣の文相を歴任する。22年参議院議員に当選、25年第2代最高裁判所長官に就任し、10年間在任。35年文化勲章受章、同年国際司法裁判所判事に就任。