解説
政治学者。大正3(1914)年東京帝大法科大学卒業後、内務省に入省したが、10年退職し、同年東京帝大助教授、欧米留学後の14年教授となり、政治学史を担当。無教会主義キリスト教の信仰をもち、ドイツ観念論の研究を通して政治哲学の研究を進め、国体という擬似宗教を批判した。昭和20(1945)年法学部長、同年12月総長に就任。21年貴族院議員として憲法審議に加わり、22年教育刷新委員会委員長となる。講和問題に際して全面講和を主張し、「曲学阿世の徒」と非難する吉田茂首相と論争。23年日本政治学会初代理事長。45年日本学士院長。
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