解説
小学校卒業後、代用教員、株屋の店員などを経て、明治25(1892)年自由党系の『静岡日報』の記者(文士)となり、その後も自由党系の『自由新聞』、『めさまし新聞』、『九州新聞』(主筆)で書き続ける。自由新聞社では幸徳秋水と同僚となり、以後終生の交わりを結ぶ。35年実業界に進出し、三協舎印刷所を買収、次いで『経済新聞』を創設して経営にあたり、相場師としても活躍する。45年衆議院議員となり(当選7回)、立憲政友会に所属したが、昭和3(1928)年田中義一総裁と意見を異にし、同党を脱党、無所属となり、7年まで議員を務めた。以後、西園寺公望の伝記執筆等に傾注した。
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