昭和2(1927)年東京帝大卒、内務省入省。各県警察部長を歴任後、21年東京都経済局長、23年警視総監となり、ポポロ事件、血のメーデー事件などの処理にあたった。29年警察法改正の強行採決に反対して辞任。その後内閣官房副長官を務めた後、33年総選挙に東京1区から自由民主党公認で立候補し当選、以後6回連続当選を果たし、通産政務次官、外務政務次官等を務めた。