漢方医、儒学者。天保7(1836)年に江戸に出て幕府医官の知遇を得、文久元(1861)年に幕府の侍医となる。慶応元(1865)年フランス公使ロッシュの病を治し名声を得て奥医師となる。明治12(1879)年には、東宮明宮(のちの大正天皇)の侍医となる。浅田飴のルーツとなる処方の考案者。
『淺田宗伯手簡 第1軸』 淺田宗伯 [筆] [ ]
『浅田宗伯書簡 : 14通 [1]』 写
『傷寒弁術』 浅田宗伯 高美屋甚佐衛門[ほか6名]