解説
映画監督。大正12(1923)年松竹蒲田撮影所に入社、昭和2(1927)年監督として第一作目となる『懺悔の刃』を撮影。当初は短篇ナンセンス映画を連作し、後に『生まれてはみたけれど』(1932)、『出来ごころ』(1933)、『浮草物語』(1934)等を通して市民生活の現実を描くようになる。戦後は『晩春』(1949)以後、主として日本の家族を題材とし、『麦秋』(1951)、『東京物語』(1953)、『秋刀魚の味』(1962)等、悲哀や軽妙さを持つ作品を発表した。全作品のショットを低いカメラ位置から撮影した「ロー・アングル」の厳格な技法は、国際的にも評価されている。
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