日本最初の洋方産科女医。出島オランダ商館医シーボルトの娘。シーボルト門人の二宮敬作に医学の基礎を、石井宗謙に産科を、村田蔵六(後の大村益次郎)にオランダ語及び蘭学を学んだ。文久元(1861)年長崎で開業のかたわら、長崎養生所のポンぺらの講義を受ける。明治3(1870)年上京し、10(1877)年まで築地で産科を開業した。