小説家。はじめキリスト教に感化され、やがて平民社の社会主義に共鳴、日露戦争下には反戦詩などを発表したが、次第に仏教へ傾いた。明治42(1909)年都新聞社入社、同紙に『高野の義人』(1909)等の時代小説を連載した。大正2(1913)年には未完の大作『大菩薩峠』が連載され、以後は同作の完成を目指した。生涯独身で、第二次世界大戦中は日本文学報国会への入会も拒絶するなど、自己の信念を貫いた。
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