父より紡績業を継承して明治39(1906)年社長となり、のち倉敷絹織(後のクラレ)を設立。電燈・電力・金融・新聞等にも経営を拡げ、関西財界の第一人者となる。石井十次との出会いから社会事業に目覚め、43(1910)年に大原家奨農会(後の大原農業研究所)を、大正8(1919)年に大原社会問題研究所を創設した。また孤児育英にも援助を行い、社会のために私財を投じた。現存の日本労働科学研究所(当時は倉敷労働科学研究所)、大原美術館も大原が創設したものである。