解説
美術指導者。明治10(1877)年に新設された東京大学へ進み、アメリカ人教師フェノロサの日本美術研究に協力する。卒業後は文部省へ出仕。17(1884)年フェロノサ主宰の鑑画会に参加、19(1886)年に文部省美術取調委員として欧米を視察。翌年帰国後に東京美術学校(後の東京芸術大学)幹事、23(1890)年校長に就任する。31(1898)年の校長排斥運動で辞職し、同年に横山大観らと日本美術院を創設した。ボストン美術館の仕事にも携わり、同館東洋部長に就任する。39(1906)年にはニューヨークで『茶の本』を出版、日本文化の紹介にも努めた。
関連資料
直筆資料
『岡倉天心書簡 阪谷芳郎宛』 岡倉天心
著作
『茶の本』 岡倉覚三 著 村岡博 訳 岩波書店
電子展示会「あの人の直筆」より