解説
国家主義運動の理論的指導者。明治39(1906)年に『国体論及び純正社会主義』を自費出版したが発禁となる。その後は中国革命同盟会や黒龍会に参加し、44(1911)年の辛亥革命では中国に渡り宋教仁らを支援する。大正2(1913)年に帰国するも再び中国に渡り、8(1919)年に『国家改造案原理大綱』(後に『日本改造法案大綱』と改題)を執筆、国家主義運動の教典となる。帰国後は右翼の黒幕的存在となり、満州事変期には青年将校運動の中心的指導者となる。昭和11(1936)年の 二・二六事件で逮捕、翌年死刑判決を受け銃殺。
関連資料
著作
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