司法官。岩国藩士の子に生まれ、藩校養老館の玉乃九華に学び、九華没後に跡を継ぎ玉乃姓を名乗った。明治2(1869)年明治政府に出仕、4年に司法省に入り司法権大判事となり11年には初代大審院長となる。治罪法、陸軍刑法の審査、民法編纂などの立法事業にも寄与したが、再任して大審院長在職中の19年に自殺。
〔玉乃世履書簡 大木喬任宛〕 〔玉乃世履書簡 大木喬任宛〕 玉乃世履書簡 正院法制課宛
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