蘭方医。長崎でシーボルトに学び、文政11(1828)年江戸で開業。天保14(1843)年鍋島藩侍医となり、嘉永2(1849)年牛痘接種法をいち早く行う。安政5(1858)年には江戸にお玉が池種痘所を設立し、蘭方医として初の幕府奥医師となる。種痘所は西洋医学所として医学の教育・実践の場となり、文久2(1862)年玄朴は取締役に就任。江戸に象先堂(しょうせんどう)を開塾。
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