弁護士、政治家。医家に生まれ長崎で学ぶも、上京して司法省法学校に学び弁護士となる。明治13(1880)年に政治評論雑誌『東京輿論新誌』を創刊、23年には『江戸新聞』を買収し『中央新聞』として発刊する。同年、帝国議会開設にあたり、山口県から立候補して衆議院議員に当選、政界入りした。33年の立憲政友会創設に参画し、総裁も務める。東京市参事会員、東京市会議長、衆議院議長を務める。大正3(1914)年、第1次山本内閣の文部大臣に就任。
『大岡育造書簡 栃内曽次郎宛』 大岡育造
『片岡健吉民撰議院設立ニ関スル建白書 その他 言論ノ自由ヲ請フノ議』 波多野伝三郎、大岡育造、角田真平、青木匡、沼間守一、高梨哲四郎、肥塚龍、島田三郎、山中道正、須藤時一郎、丸山名政、志摩万次郎、平松福三郎、田口卯吉
『第五帝国議会報告及意見書』 大岡育造 著 大岡育造
『欧米管見』 大岡育造 編 大岡育造