政治家。土佐藩の儒者の家に生まれる。藩校で学んだ後、長崎や江戸で蘭学・兵法・英学などを修め、帰藩後には藩政改革に取り組む。明治2(1869)年開成学校権判事となり、新聞紙条例や出版条例の起草を行う。民部省から工部省に転じてアメリカに留学し、帰国後は文部省、左院、正院、元老院等の要職に就任。特に法制面で活躍し、多くの法律起草に関わる。枢密顧問官、貴族院議員、貴族院副議長のほか、女子高等師範学校長、華族女学校長なども歴任。男爵。
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