ロシア語学者。17歳で江戸に出て、村田蔵六(後の大村益次郎)の塾・鳩居堂に入り、オランダ語・医学・西洋兵学等を学び第2代目塾頭となった。慶応2(1866)年箱館でロシア正教会の宣教師ニコライと出会い、3年間ロシア語と日本語をお互いに教えあう。ニコライの推薦により、明治2(1869)年、加賀金沢藩よりロシア留学の命を受け、シベリアを横断して、ペテルブルグに行く。7年に帰国し、開拓使、文部省、内閣官報局、参謀本部等に勤務した。
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