国学者、国文学者。江戸に出て伊能頴則に国学、寺門静軒等に漢学を学ぶ。文久3(1863)年に和学講談所会頭助役になる。維新後、神祇官、文部省、宮内省の諸官となり、帝国大学文科大学、高等師範学校の教授にも就任した。明治23(1890)年学士院会員。26年に公職を辞す。以後、万葉集の研究につとめ、34年文学博士。蔵書家で中国で散逸した書籍を収集し、現在その一部は東洋文庫に架蔵されている。