解説
三宅島で生まれる。大正12(1923)年早稲田大学政治経済学部卒。14年12月日本初の全国的単一無産政党である農民労働党を創立して書記長に就任するも、即日結社禁止処分を受ける。その後労働農民党や日本労農党で組織部長を務め、昭和11(1936)年に社会大衆党から衆議院議員となった。戦後は日本社会党の結成に加わり、23年に書記長に就任、35年3月に委員長となり安保条約改定阻止の院内外闘争の前面に立った。同年10月、日比谷公会堂で演説中のところ右翼の少年に刺殺された。
関連資料
リサーチ・ナビ
電子展示会「あの人の直筆」より