「伯国移民状況」 『大阪朝日新聞』 明治38年12月19日~30日
杉村濬(ふかし)(1848-1906)は、外務省通商局長から1904年(明治37)ブラジル駐伯弁理公使に転じ、在職中の1906年(明治39)5月死去。鈴木貞次郎は、「体格からして、角力取りなら十両取位いな値打の充分にふめる太った肉付で、身長もそれに応じて高かった。余り物数はいわない。何処かに陰気な影のほのめきながらどっしりと落付いて如何にも長者らしい風格があった。」と印象を記している(『伯国日本移民の草分』)。